蒸発






その女子生徒は、入学した当初から、その陰気な風貌と殆ど口をきかない(らしい)不適応で、集団から
外れ隠れるようにしているのが常という、極端なほどに閉じこもった様子であったと、聞こえてくる教師同
 士の会話からぼんやりと知っていた。名前と、レイブンクロー寮であること、髪を長くのばし、うつむいて
 歩いているので、校内でふと目にしても、まったく顔が見えない奇妙な生徒がいるということしか、意識
にはなかった。
他の生徒からひどい苛めを受けているということも聞いて知ってはいたが、全く眼中になかったと言え
る。

その女子生徒が、たった今まで、目の前で例の忌々しいグリフィンドールの双子に、激しい暴力を受けて
いたのだった。回廊の壁の外で、長身の双子に挟まれ、黒髪を垂らして蹲っている少女に、はじめは気
付かなかった。
しかし、双子の片方が爪先でその黒い塊を突いた時、小さい声が聞こえた。彼らにとって死角だった回廊
の内側から私が一歩踏み出した瞬間、双子はさっと振り返り、全く賞賛に値する逃げ脚で、その場を走り
去った。
「グリフィンドール、30点減点。」
後ろ姿にそう言い放ってから、蹲った女子生徒に数歩歩み寄った。彼女はゆっくりと上半身を起こす。殴
る蹴るの暴行を受けただけでなく、どうやら泥水のような汚水をかけられたらしい。シャツが薄汚く汚れて
いて、髪がぐっしょりと濡れて顔前面を隠している。

「いつもこうか?」
「そうですよ。」
「同情する。せいぜい強く生きたまえ。」
「…ふふ。」

笑った。

「スネイプ先生らしくない。」

緩慢な仕草で、彼女は片手を上げて、顔にかかった髪を除けた。黒い水を黒髪の先から滴らせながら、
白い顔がその髪の隙間からぬっとあらわれた。

「先生、お願いがあります。」

その子の顔を正面から見たのは初めてだった。白く小さい顔に、大きい、孔のような
瞳があった。刹那、自分自身が冷水を被せられたかのような寒気が走った。彼女の左の瞳は、
灰色に濁り、薄青い白目の色と重なり合ってぞっとするような視線を放っているのだった。
右の黒い瞳とその灰色の左目は不安定にずれながら、しかしじっとこちらを見つめている。

鼻と唇は小さく、寒さに赤く染まっていた。
妙な具合に捩れた美しさだった。
薄い唇が動く。

「私を死なせてほしいんです。」
「…教師が生徒の自殺幇助を引き受けると思うか?」
「大丈夫です。」

「私人間じゃないですから」

「私、祖国の呪術師が召喚した、遣い魔みたいなもので、どうしてかここにこうしているんですけど、本当
は人間じゃないんです。陰陽師って知っています?ほら、この呪符、これが私の生命なんです。これを破
れば、死ねるんですよ。だから先生は、これを破ってくれるだけでいいんです。自分では破けないんで
す。破けないってことは、死ねないんですよねえ。先生、自分じゃあ、死ねないんですよ。だから、先生
に、お願いしているんです。先生、私を死なせてくれませんか。もうね、嫌なんです。もう死んだ方がまし
なんですよ。大丈夫です。人間じゃないんですから。ただの、呪術で生きている化け物なんですから。死
んだって生きたって何でもないんですよ。だから、先生。お願いです。これを。」


彼女は小さい声で、しかし早口で、瞬き一つせずに話し続けた。話しながら、いつの間にか手にしていた
小さい、細長い紙のようなものを、震える手で差し出していた。
頭がおかしい。残酷な、暴力的な感情を相手に抱かせるような不快感。
なまじ美しい顔をしているせいで、その破綻した雰囲気が、過剰に拒否反応を引き起こすのだった。

「…病識はあるか?」

「………本当のことですよ。」

空気を絞り出すようにそう呟いて、彼女はくしゃりと顔を歪ませた。笑ったのか、泣きそうになっているの
か、わからなかった。そうして、彼女は立ち上がり、持っていた紙きれを私に押しつけるようにして、いつ
ものうつむいた卑屈な姿勢で、ゆっくり歩き出した。小さくひしゃげた背中。
あまりの異様な様子に、しばらくその場に立ちつくしてしまっていた。気づけば、冷たい霧雨が降り始め、
マントの表面を白く、じっとりと霧が覆っていた。






それから数日は、彼女から受け取った紙きれは適当な本に適当に挟み、忘れようと努力していた。身震
いするほどの嫌な印象とともに強烈に記憶してしまった彼女の顔を、早く意識の外に再び追いやってしま
いたかった。ちょうど季節が変わっていく頃で、日に日に冷えていく空気を快く思いながら、禁書棚に返却
する本を数冊、抱えて図書館のある塔への渡り廊下を歩いていた、その時に再び、彼女の姿を見た。



渡り廊下に対して、向い合せになっている塔の窓に、彼女がいた。
恐らくなにかの教科の準備室になっているらしい、薄暗い部屋に、彼女の白い体が浮かび上がるように
見えていた。細い腕、剥き出しの白い脚が、空を掻いている。その窓は遠かったが、彼女の体だけがくっ
きりと、ただただ白かった。
彼女の体の上に重なるようにして、あの双子の片割れの赤毛が見えた。
…彼女の首が、ぐるりと回ってこちらを見た。
あの灰色の濁った目と、視線がぶつかった。


逸る足取りを抑えながらその場から去った。
頭蓋の中に響くような不快な頭痛と、こみ上げる嫌悪。
こちらを振り返った彼女は、微かに笑っていた。異常だ。
地下室へと降りる階段を早足で降りた。
彼女が寄越した紙切れ。
茶色く汚れ、なにか文字が書いてあるようだがそれすら判別できない、細い紙を、
破った。あまりにも簡単な、ぼろぼろと崩れるような感触。
死んでしまえばいい、と思った。死なせてやりたい。殺してやりたい。
得体のしれない恐怖と悪寒で、頭が焼けつくように痛んだ。




手の中でその得体のしれない紙きれが塵芥になったところで、漸く深く息を吸うことができた。ばかばかし
いことをしているとやっと思いつく。

紙片を、火のない暖炉に捨てた。他の寮の生徒に世話を焼くのは気が進まないが、あの子は極力早く外
の病院に連れて行かなくてはならないだろうと思い至った。
彼女の顔を、姿を改めて思い出す。体の力がふっと抜けた。何だ、ただの、痩せた小さい少女だ。ここ数
日の重く憂鬱な気分からやっと抜け出したような気がした。どうしてあれほどまでに彼女を恐れたのか
も、もう忘れてしまった。

何ということはない。しばらく入院して、必要なら退学すればいい。そう言ってやろう。
軽く、溜息をついた。










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企画  

お題→ オッドアイ 陰陽師 人外


双子にボコられるのは逆ハーじゃないかもしれない。
お題で書いたの初めてですが痛きもちいものですね。






20110924
ゆで