リリーより愛を込めて






先生の個人の研究室は、地下牢の教室のさらに奥にあった。
作業台の端の実験器具を少しずらして、図鑑が開ける程度のスペースを空ける。背もたれのない、素っ気ない
直方体の木椅子に座る。コーヒーは大体先生が、たまに私が入れた。先生は事務机でなにか書いていたり、忙
しそうに薬を作っていたりしていることもあったし、私の向かいに座って気怠そうに本を読んでいることもあ
ったけど、ともかくまあどんな状態でも、私を出て行かせることはしなかった。

週に1、2回のお茶が、しばらくのうちに毎日の習慣になり、薬学の研究について話し、その数倍ほどの他愛の
ない雑談をした。先生のことが好きだと言ったのは1年半前。先生は可笑しいくらい神妙な顔をして、黙って頷
いた。今も思い出して、少し笑ってしまう。



「あったかくなってきましたね」
同じ黒色のコーヒーを啜りながら、先生は薬草学の季刊専門誌を、私はその頁をめくる先生の手を見ている。
「もうすぐ夏休みなんですね」
「ああ」
「先生、私がいないと寂しいでしょう?」
先生は何も言わずに口元だけで笑う。私はローファーの足をのばして、向かいに座る先生の足首に絡ませる。



私が先生を好きでいることを、先生は拒まない。




先生は、私に対する一部の感情を、抑え、というよりは恐れているように見える。ずっと。抱きしめてもキスをし
ても、一瞬なにかに怯えるように顔を強張らせ、それからぎこちなく手を握る。きっと、あの写真の女性と、何か
関係があるのだろうと思う。




―――――― 本に挟まっていたその写真は、少し前に先生の本棚をあさっていたときに偶然見つけてしまったも
のだった。専門書ばかりの本棚の中の、数冊の古典小説。そのうちの1冊を抜いたときに、背表紙の裏から2、3
枚の写真と黄ばんだ紙片が床にこぼれた。小さく、または1枚の写真の隅を破り取ったもので、色があせて劣化し
ていたけれど、その写真とを見たとき私は総て納得した。…そして、私は今でも、そのことについて何も言えずに
いる。先生の恋。先生の孤独。その深い傷に触れるべきなのは、とりあえず今ではない、と思いながら。








20100630
ゆで