黒いジャージ 私、は、当たり前のように、言うまでもなく、至極当然に、先生のことが好きです、が。 大好きです、が。 …寝起きのぼんやりした思考回路で、隣で死んだように眠る先生を見下ろす。 少女漫画とか、ありがちな小説の、教師との恋愛ネタにつきまとう、例のお決まりの、 苦しい、とか、 叶うことのない想い、とか、 そもそも、「禁断の」とか、「禁忌の」とか、 ――――ないなぁ〜。 …と、思うわけです。 珍しく、目が覚めてしまった。窓の外はまだ真っ暗で、私が起き上がっても先生が まだ目を覚まさないところをみると、きっとまだ深夜だ。 背徳感がないのが最大の謎であることよなぁ、と考えながら、私は一度起こした 半身を再びベッドに沈ませた。ロンドンのユーズドショップで買った(ほとんど「買い叩いた」) 薄手のジャージは、安かった割になかなか快い。先生は根っからこういう類の部屋着を嫌悪しているけど、 最早私の行動とか服装に口出しをするのは諦めたらしい。 普段のおしゃれ着も基本的にはワンピースとか細いデニムなわたくしは、もっぱら溜息と呆れの冷たい 視線を賜るのみ、である。 でも、いつもコムデギャルソンやディオールの、お上品な服で固めたスキのない先生と、 H&Mに古着の私は、並ぶと妙にアンバランスでなかなか素敵。 …だと私はひそかに思っている。 先生と生徒。 そのことが私たちになんの障害にもならないことは、どういう意味があるのだろう。 一回寝ついた先生は、その浅い眠りがさめるまではぴくりとも動かない。寝返りも打たないから、 一見して寝姿は少し異様だ。くっつくほどに顔を近づけて、初めて寝息が聞こえる。 まるで死体。触っても睡眠中の生き物とは思えないくらい、体温は低い。 私はぬるい布団に潜り込んで先生の細い体にぴったり寄り添って足を絡めた。肩に頬を寄せると、 少し甘い肌の匂いがする。 私は小さく笑って、再び目を閉じた。 ---------------------------------------------------------------------------------- 目が覚めると、くすんだ小さいガラス窓の向こうはうっすらと橙色がさしていた。中途半端な時間に 目が覚めてしまう癖は、学生時代に直すのを諦めたのだ。 「眠りが浅いんですね。ストレスじゃないですか」 いつだったか、分かったように神妙な顔をして、はいとも簡単にそう結論付けた。 確かそのころは眠りが浅いのに加え慢性的な不眠で、浅黒いクマが沈着してしまった私の頬に 触れながらがひどく悲しそうな顔をしたことを覚えている。 ―――――かわいそうな先生。 羽目殺しの窓の向こうで橙色がゆっくりと広がるのを見つめながら、シルバーのゴブレットで 少しずつ口に冷たい水を含む。薄寒い寝室には、の穏やかな寝息だけが響く。 彼女いわく私の寝方は「死体みたいで気持ち悪い」らしいが、それをいう本人はこっちが 辟易するくらい寝相が悪い。室温の低さもお構いなしに、黒い、一目で質の粗さが見て取れる ジャージに包まれた脚が片方、布団から大きくはみ出している。 いつの間にか、このベッドでが寝ていることに、なんの違和感もなくなっていることに気づいて、 複雑な重みが頭を重くするのを感じた。 彼女を前にすると、私たちの間のどんな社会的立場・・・ −−教師と生徒、友人、パートナー、恋人・・・と、 その言葉のすべてが意味を失ってしまうように感じた。 ――――ただ、何故だかはわからないが、恐らくは、私は彼女を必要としている。 ベッドの縁に軽く座り、青白くぼんやりと発光するの小さな顔を見おろす。 無防備で間抜けな寝顔の、柔らかい頬を抓むと、はうう、と唸って眉を寄せる。私は心なしかほっとして、再びの隣にそっと横になった。 の、はみ出たするりと細長い脚を布団の中に入れてやってから、自らも口元まで布団にもぐりこむ。 寝ている間のの体温は、いつもに増して高い。温められたシーツが快い。 明日は休みなのだから、寝られるだけ寝てみよう。 寝返りを打ってこちらを向いたと、額をつき合わせる。少しすっとする、独特の薬草の匂いが染みついた彼女の手。 こうやって動物のように、ひっそりと寄り添っていられれば、少しは穏やかな夢が見られそうだ、と、 そんなことを思う自分に呆れてしまう。 私は小さく笑って、ゆっくりと目を閉じた。